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公事根源
正月
元日節会、〈◯中略〉氷様は、宮内省より奉る、去年氷おおさめたる所々の様お、今日節会のついでに奏聞するなり、厚さ薄さいか程の寸法に侍るなど、こまかに奏して、其ためしとて、近頃は石かはらのわれお奉るなり、延喜式にも、氷池、風神の祭など侍り、氷のおほくいるは、聖代の験、氷のいぬは、凶年にて侍れば、氷の御祈とて、大法秘法お行はれしにや、今日もよく氷て目出よしのためしお奉るなり、昔仁徳天皇の御宇、六十二年五月に、額田大中彦皇子、闘鶏と雲所に狩しに出行て、山にのぼり、野中おみやり給しかば菴お作りたる様なる所あり、人おつかはしてみせ給に、窟也と申、其時かの山のあたりに侍る人おめして、とはせ給ふに、氷室なりと申、皇子のいはく、其氷おばいか様にしておさめたるにか、答て雲、土お一丈あまり堀て、草お其上に葺て、茅萱など厚取敷て、氷お置たるに、氷ていかやうなる大旱にもとけず、是お取て熱月にもちいるとなん、其時皇子、此氷お仁徳の聖の御門に奉せ給ければ、なのめならずに叡感有し由、やまと文などにものせたり、是氷お奉る始なり、其後季冬ごとに是おおさめて、国々所々に氷室お置れ侍しなり、