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源平盛衰記
二十五
鰚奏吉野国栖事
吉野国栖とは、舞人也、国栖は人の姓也浄見原の天皇、大伴皇子に襲れて、吉野の奥に籠り、岩屋の中に忍御座けるに、国栖の翁、粟の御料にうぐひと雲魚お具して、供御に備へ奉る、朕帝位に上らば、翁と供御とお召んと、被思召けるによりて、大伴の皇子お誅し、位に即て召れしより以来、元日の御祝には、国栖の翁参て、桐竹に鳳凰の装束お給て舞ふとかや、豊のあかりの五節にも、此翁参て、粟の御料にうぐひの魚お持参して、御祝に進らする、殿上より国栖と召るヽの時は、声にて御答お申さず、笛お吹て参るなり、此翁の参らぬには、五節始る事なし、斯る目出き様ども、兵革火災に奉らず、