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宇治拾遺物語

西宮殿〈◯源高明〉の大饗に、小野宮殿〈◯藤原実頼〉お尊者におはせよとありければ、年老こしいたくて、庭の拝えすまじければ、えまうづまじきお、雨ふらば庭の拝もあるまじければまいりなん、ふらずばえなんまいるまじきと、御返事のありければ、雨ふるべきよし、いみじくいのり給けり、そのしるしにや有けん、その日になりてわざとはなくて、空くもりわたりて、雨そヽぎければ、小野殿はわきよりのぼりておはしけり、中嶋に大に木だかき松一本たてりけり、その松お見とみる人、藤のかヽりたらましかばとのみ見つヽいひければ、この大饗の日はむ月の事なれども、藤のはないみじくおかしくつくりて、松の梢よりひまなうかけられたるが、時ならぬものは、すさまじきに、これは空のくもりて、雨のそぼふるに、いみじくめでたうおかしうみゆ、池のおもてに影のうつりて風の吹ば、水のうへもひとつになびきたる、まことに藤波といふことは、これおいふにやあらんとぞみえける、富小路のおとヾ〈◯藤原顕忠〉の大饗に、御家のあやしくて、ところどころのしつらひも、わりなくかまへてありければ、人々もみぐるしき大饗かなと思ひたりけるに、日くれて事やう〳〵はてがたになるに、引出物のときになりて、東の廊のまへに曳たる幕のうちに、引出物の馬お引立てありけるが、幕のうちながらいなヽきたりける声、そらおひヾかしけるお、人々いみじき馬のこえかなときヽけるほどに、まく柱お蹴折て、くちとりおひきさげていでくるお見れば、黒くり毛なる馬のたけ八きあまりばかりなる、ひらにみゆるまで、身ふとくこえたるが、いこみかみなれば、額のもち月のやうにてしろく見えければ、見てほめのヽしりけるこえ、かしがましきまでなんきこえける、むまのふるまひおもだち、尾ざし、あしつきなどのこヽはと見ゆるところなく、つき〴〵しかりければ、家のしつらひのみぐるしかりつるも、きえてめでたうなんありける、さて世のすえまでもかたりつたふるなりけり、〈◯又見古事談〉