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栄花物語
十三木綿四手
この廿よ日〈◯寛仁二年正月〉のほどは、摂政殿〈◯藤原頼通〉の大饗あるべければ、その御屏風どもせさせ給へるに、さるべき人々にみなうたくばり給はするに、おほとの〈◯藤原道長〉われもよまんとおほせられて、よのいそぎに御いとまもおはしまさねど、ともすればはしぢかにうちながめて、うめかせ給ほど、さま〴〵にめでたく、人の御身御さいはひ、御こヽろざまもつねのことながら、かばかりいそがしき御こヽろに、かヽることおさへおもひすて〈◯ことお以下十字、一本作かたおさへ思しわすれ、〉させ給はぬ御こヽろのほども、きこえさせんかたなくおはします、すべてうた八十首ぞいできたりつれど、いりたるかぎりおだにつくしかヽず、大和守輔尹のあそん、うづえお、
 ときは山おひつらなれるたまつばききみがさかゆくつえにとぞきる
大饗したる所、殿の御前、
 きみがりとやりつるつかひきにけらしのべのきヾすはとりやしつらん
春日の使たつところ、いづみ、
 かすがのにとしもへぬべしかみのますみかさの山にきたりとおもへば
やまざとにみづあるいへに、まらうどきたる、祭主輔親、
 このやどにわれおとめなんいけみづのふかきこヽろにすみわたるべく
五月節、すけたヾ、
 くらぶべきこまもあやめのくさもみなみづのみまきにひけるなりけり
九月九日、とのヽおまへ、〈◯道長〉
 かくのみもきくおぞ人はしのびけるまがきにこめてちよおおもへば
四条大納言〈◯公任〉べちに二首たてまつり給へり、さくらのはなみる女車あるところ、
 はるのはなあきのもみぢもいろ〳〵にさくらのみこそひとヽきもみれまたもみぢある山ざとにおとこきたり
 やまざとのもみぢみにとやおもふらんちりはてヽこそとふべかりけれ、いとおほかれどかかず、大饗の日、寛仁二年正月廿三日なり、ありさまいふもおろかにめでたし、尊者には閑院右大臣〈◯公季〉ぞおはしましける、うへ〈◯頼通室〉の御ありさまなど、いとあらまほしくめでたきとのなり、