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嘉永年中行事
正月朔日朝の物 四方拝おはりて、常の御座にて、朝の物、菱花びら、梅干、御茶など供じて御盃参る、御前にて御とほしあり、伊与酌お勤む、其やう先三つ肴、菱花びら、きじ、茶、硯蓋の御肴にて一献お供ず、〈加へあり〉親王、女御御相伴なり、天盃親王女御へ給ふ、女御より次第に御とほし、女中も内侍の限りは、御前にて菱花びら、きじ、茶お給ふ、命婦はおの〳〵末座の内侍のほとりへ進み出で給ふ、同所にて御膳供ず、朝女中のうけとり進上ある日は、定れる御盃は供ぜず、〈◯中略〉御祝 秉燭の後御祝あり、〈◯中略〉御引直衣脱せ給ひて、御小袖に赤き生の御袴、垂纓御組懸は本の儘にて、西の一帖の御座に移らせ給ふ、御陪膳以下各五つ衣おぬぎ、常の小袖に袴ばかりにて座に著く、先御陪膳母屋おへて中段に進み、御座の右の方北へそはして候ず、御手長下段に候ず、次に役送の命婦御盃おもて御手長に伝ふ、御手長御陪膳に伝ふ、御陪膳御前に居ゆ、次に初献三つ肴お供ず、御盃お御左の方へ押よせて、初献お御前に供ず、次に御銚子お持て参る、御盃おとらせ給ひ一献お供ず、御陪膳御盃お御銚子にすえて下段に出て、第一の典侍の座前に置き本の座につく、手長の命婦進みよりて次第にとほす、次に御盃お持て参る、初献の如し、御陪膳とりて御前の御盤にすう、次に二献ばうざうお供ず、三つ肴お御右の方へ押のけて二献お中央に居ゆ、御銚子お持て参る、御箸下り御盃参る、〈一献也〉女中へも次第にとほる、又御盃出る、此度は典侍より勾当内侍まで天盃給はるべき料に、あひの土器お重ねながら取て御盤に居ゆ、次に三献御ひら(鯛)お供ず、二献お撤して三献お中央に居ゆ、次に御手長の内侍、御銚子お白散の許にもて行き、屠蘇白散お入れ、御陪膳に伝ふ、御箸下る、御盃供ず、〈三献也〉三献めに御加へあり、御前の御盤お御右の方へ押やりて、女中に給る天盃お敷居の上に双べ置く、女中へ天酌にて給ふ、〈一献也〉勾当内侍迄天盃給りて、第二の内侍は第一の典侍の盃おこひとり、第三の内侍は第二の典侍の盃お伝ふ、かくの如く次第にとほすなり、〈小のゝりなり〉命婦は簾台に入らざる故に、下段の南の東の一間の障子より出て南庇おへて、簾台の南の東の一間の障子より入て給はる也、次第に給はり終りて、御陪膳御前お撤す、次に入御なる、三け日、七日、十五日、立春等皆同じ、
三日〈◯中略〉御祝 夕方の御祝元日に同じ、けふは内々の男方に御盃お給ふなれば、三献女中御とほしおはりて、男方めさる、南庇の御障子の開たる所より入り、中段の兼て設たる中央の御盤の所に致り、小盃お取り御前に進む、天酌にて一献給はり、本の座に返り飲み、南の御障子のほとりにある小盃の許に至り、小土器に強供御お入れ、御障子お出て、南庇にて次の人に強供御お伝ふ、最末の人御盃お給はり、御障子おさして退く、夫より熊の間にて各へ御末広お給ふ、勾当内侍伝ふ、四日、朝の物、 朝の物きのふに同じ、七日お除きて十四日迄は、菱花びらお供ず、