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光台一覧

抑禁中肇春之御儀式、〈◯中略〉二日三日之中、御徳日お撰み、〈御衰日お御徳日と雲〉五摂家之御礼参内之節は、御台所御門より、長橋玄関左に見て、中門より南の御車寄へ昇殿被成、御家来分御門弟の公卿衆、中門之際迄一列に御出迎被成、黙礼有之例也、猶前廉に御家門より御使者にて、幾日には参内被成旨、例之通御出迎可被進由、被仰遣御事也、平日之参内には、御出迎は無之候、年頭之砌計也、又御家門方之殿上人か諸大夫か、長橋玄関にて、其節従天子酒饌お被下御事なり、難有規摸とかや、四日迄之内、俗親王家伏見、京極、有栖川、閑院四軒の御礼也、〈◯中略〉十三日迄之内、法親王、諸門跡方、院家総洛中の御礼也、日限は替れども、其衆中には御室仁和寺、大仏妙法院、粟田口青蓮院、今出川梶井円融院、三井寺円満院、山科毘沙門堂御門跡、嵯峨大覚寺、岩倉実相院、一乗寺、竹内曼殊院、神楽岡聖護院、白川照高院、南山科勧修寺、南都一乗院、東山智恩院之宮、右は各宮門跡にて法親王宣下有之方々也、併時に随ひ摂家より御相談の御事も有之、其代々其寺の格に拘らずして、摂家門跡の列に入給ひ、先途漸大僧正に任じ給ひ、格式ひくしと心得べし、其外摂家門跡には、醍醐三宝院、南都大乗院、山科小野随心院、安井蓮花光院、上醍醐三准門跡、水本坊之報恩院、松橋理性院、釈伽院、此外叡山の学頭、三井の碩学、南都興福、東大、西大、法隆、元真、般若等之総代、諸門跡方之院家数多、大徳、妙心、輪番之住持、金地院の僧録、五山之紫衣、泉涌寺、般舟院、二尊院、芝山寺等之住僧、浄土鎮西派四け之総本山、大谷寺、知恩院、黒谷金戒光明寺、神楽岡百万遍、知恩寺、洛陽浄花院、西山派之二本寺、東山永観堂禅林寺、粟生之光明寺、深本派之義は、両本山洛陽誓願寺、蛸薬師円福寺、右之外諸寺諸山之総代、諸寺院之僧侶僧綱、臈次お改め、寺法格式に随ひ、代々の執奏伝奏に付て参内有、〈◯中略〉参内の行粧は、塗肩輿、緋衣、紫衣、香衣、素絹等、僧綱法儀に随ふ道服也、供奉は、輿廻は布衣、先駈は素襖の青侍也、猶内侍所へも庭上より拝事有、神楽銭壱貫文か五百文、格に依肇之、刀自収納之〈◯中略〉扠各参内有ては天顔お拝す、併禁中の御儀式は、御前は何れも無言の御礼、附札のみ之披露にて、上段二畳台の上に御褥お被為敷、御簾御礼通り迄下れば、軽々敷天顔お拝する事不協也、然に大徳〈竜宝山大徳寺、開山大灯、〉妙心〈正法山妙心寺、開山関山、〉両けの御礼は、左右列座の公卿も驚き恐入計之御礼にて、中段までうち登り、上段の玉縁に両手お懸、御褥に頭の付程の御礼とかや、御近臣之御秘法有之也、猶寺法格式時の住持の規摸と称す、此中に智恩院一け寺、正月廿八九日両日之内、御諸司へ付届之、武家伝奏の執奏にて参内す、当寺綸旨の申次は、時々典侍、大夫典侍、新典侍の御取次なれば、智恩院参内入門の節、右之局方御家来挨拶に於、御局よりの口上も相述る、扠知恩院宮中にての口上に、御忌も首尾能相勤候に付、年頭之御礼申上ると、伝奏議奏の挨拶旧例也、猶法威と称す、御門の蹴発しお庭中に入や否、杖お突事お定例とす、今に右の如くの格式也、扠又東西両本願寺は、内々世に知るごとく、五摂家の御連枝方にて、猶門跡号お被下、大僧正お拝任す、寺門に於ては富貴第一、又我宗派にては威権に栄えたまへ共、禁中関東の格式は不足、夫故に右之日限に御礼申上る寺門の列に入給はず、正月の末二月の初めか参内有、強に年礼と申にも非ず、御見廻に口上にて参内有、平日心安く東西六条へ出入被成公家衆一両輩、御車寄迄出迎たまふ、夫さへ公家衆御傍輩中嘲弄有よし聞り、