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友俊記
年中御作法の大概物がたり 元日、親王摂政家の御礼は、常の参内にはことなり、唐門より長はしの局の御車よせより参りたまふ、親王は、しきいのうち敷石のうへにてこしお出給ふ、一品牛車宣あるは、車寄の辺にておりたまふ、摂家は瑞籬のうち、御門敷居のそとの石壇の上にておりたまふ、車よせよりすぐに常の御殿にて竜顔お拝せられ、天盃天酌おたまふ、先菱葩にて御ごん、かず〳〵あさ〳〵やうのもの、きじやきなどお給ふ、事すみて大ぶくの御茶おたまふ、是は御徳日にあたれば二日にもあり、御陪膳は典侍なり、次の陪膳は内侍命婦なり、摂政家の御礼は、唐門より長橋局の御車寄より参りたまふ、武家伝奏議奏などの出むかひにて、常の御所にまいり入て竜顔お拝せらる、殿上人御三つ肴おとりたまふ、主上の御陪膳は、大臣の子孫の卿相、御手長の役送には、四位五位の蔵人の中、六位の蔵人等也、御陪膳御盃御銚子おまいらす、ひさげの御くはへは手長の人也、天盃下されば、御銚子にのせて御陪膳に手長の人にわたす、ことすみて摂政家にまいらす、二献すみて、ひさげのくはへには六位蔵人なり、又それよりもとのごとくかへりて、天盃おはじめのごとく第二の人にたまふことはじめにおなじ、摂政家は三公にあらずといへども、みなことごとくにまいりたまふ、前大臣も参入し給ふ、又三公ならぬ納言といふとも、おして三方おもちいらる、元日御とく日にあたれば二日にあり、〈◯中略〉享保四年、殿下〈九条殿〉御旧例お申請たまふ、天盃天酌の事也、御陪膳の公卿御前のみつざかな御さかづきおそなふ、手長の役送転供也、次御銚子お殿下とりて三献まいらせらる、御ひさげは御陪膳にたまふ、すぐに御銚子にのせて殿下にむかふ、主上御てうしお出されて殿下にたまふ、御盃おとりて頂戴、天酌お給ふ、いづれも同じ事にたまふ、ひさげには御陪膳の公卿なり、此事院御所にてもおなじ也、