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御湯殿の上の日記
文明九年正月八日、御ぢそうのさんがあり、あんぜん寺殿、じんせう寺殿、つうげん寺殿、大しやう寺殿御まいり、 十日、前くわんばく、花山、そのほかさんがどもあり、申つぎ弁、宰相中将殿ばかり御さんだいあり、三ごんめに御けんびしさやまいる、くわじうじもちてしこう、御たいの御方とりにて御まいり、おなじく一こんに御さぶらひ、千しゆう万ぜいめでたし、ついでに御ちよくろにて御いはいめでたし、
元亀四年正月四日、とう宰相おなじく侍従御れい申、御みまにて御たいめんあり、あすか井おやこ御れい申、きちやう所にて御たいめんあり、おとこずえにて御さか月たぶ、藤宰相申すのくちにて御さか月たぶ、 六日大ないき五でう御れい申さるヽ、きちやう所にて御たいめんあり、日の御れい申さるヽ、つねの御所にて御たいめんあり、いつものごとく御まへにて御さか月たぶ、 十日、くわんばくながはしまで御まいりありて、御れい申さるヽ、月のわ御れい申、下すがたにて御たいめんなし、けふの御たいめんあり、 十一日、りしやういんまいりて、御かぢ申さるヽ、いつも十日に御れい申さるれども、御がいきにてけふ御たいめんあり、
天正十九年正月一日、きくてい殿〈◯晴季〉ない〳〵になされ候、御れい御申あり、つねの御所にて御たいめん、きくていおやこ御ひさしへ御まいり、二こんまいる、ぐ御の御はいぜん三でう中納言、御てながさせうべん、きくてい殿御まへ、さまのかう、しん中納言の御まへ、えもんのすけなり、御てんしやくにてまいらるヽ、めでたし〳〵、 四日、八でうの宮〈◯陽光院子智仁親王〉御れいになる、〈◯中略〉つねの御所にして二こんまいる、上らうちや〳〵、御ちの人も御まいり、申のくちにて、こむ御すわりあり、御あふぎまいらせらるヽ、 五日、五のみやのかた御れいになる、つねの御所にて二こんまいる、 六日、けふのさんだいゆきふりてのぶる、 八日、大かく寺殿御れいになる、つねの御所にて二こんまいる、御たる三色三かまいる、めうほういん殿御れいになる、つねの御所にて二こんまいる、御たる三色三かまいる、御あふぎまいらせらるヽ、 十日、くわんばく殿、〈◯豊臣秀吉〉十二日にさんだい御申候はんとの御あんないあり、 十二日、くわんばく殿さんだいあり、つねの御所にて御たいめんあり、こん三ごんまいる、御しやうばんくわんばく殿、八でうの宮、〈◯智仁親王〉きくてい殿、〈◯晴季〉うきたのさいしやう、〈◯秀家〉うへすぎ、〈◯景勝〉もり、〈◯輝元〉ちくぜん、〈◯利家〉きん五、〈◯秀秋〉三郎じじう、いへやすじじう、〈◯秀忠〉以上十一人也、〈◯中略〉御てんしやくにてみな〳〵御とほりあり、しんくげしゆ廿七人、御たちおりかみにて御れい申さるヽ、〈◯中略〉御しやうばんしゆみな〳〵たヽれて、くわんばく殿八でうの宮のかたばかり御ざしきにて、じゆごう女御女中しゆは、御みやのれいに御いであり、きくてい殿、くわんじゆ寺殿、中山殿御まへに御まいりあり、きげんよくめでたしめでたし、
文禄四年正月一日、くわんばく殿さんだいあり、ぎでう所にて三ごんまいる、御はいぜんさねえだ、御てなが右中弁、御しやうばん八でうの宮、右大じん、ぎふの中納言、やまとの中納言、びぜんの中納言なり、殿上人御はいぜんなり、 十一日、けふはさんだいどもあり、せいりやうでんへなり候はぬさきに、御がくもん所にて、せいほういんろあん御たいめん、せいそかうしん上申、ろあんりうなんぐわんしん上申、申つぎくわんじゆじ、そののちこ御所へならしまして、ゆぎやう上人せいすい寺のくわん御たいめん、〈◯中略〉六でうの上人御れい申、こ御所にて御たいめん、申つぎひろはし、そののちせいりやうでんへならしまして御たいめん、正ごいんどのぎでう所にて御たいめん御かぢあり、りしやういんかつもと、しんめいいん御れい申さるヽ、御たいめん同御かぢ申さるヽ、三ぼういんどの御れい御申、御かぢあり、九でうどの、一でうどの、たかつかさどの、九でうどの御おやこ御れい御申、御たいめんあり、そののちとざましゆ、せいぐわしゆのこらずおとこたち御たいめんあり、〈◯中略〉けんかういんちご御れい申、御たいめん、やうくわんどのちやうらう二人御れい申、〈◯中略〉めうしん寺、二そんいん、ちおん寺、正ほう寺、せんくわんじ、せんりんじ、ちやうらく寺、大さんいん、しやうりんいん、しん女だうのぢうじかんかいじのこらず御れい申、ぎでう所にて御たいめんあり、一そく一ほんいづれものこらずまいる、ちおんいんはわづらひとてさんだい申されず、