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御湯殿の上の日記
慶長三年四月十四日、太閤やがてさんだいとの御事にて、おとこたちめして御とりおきあり、 十六日、太閤、秀頼十八日さんだい候はんとの御あんないなり、こんかたいつものごと、ぐごあづかりにながはしより御申付、御ふるまひはとくぜんいん申つけらるヽ、 十八日、太かうのひでより御さんだいあり、つねの御所にて三ごんまいる、〈◯中略〉太かうよりねんとうの御礼、白がね五十まい、はくてう(白鳥)三つ、おんたちしん上あり、ひでよりねん頭の御礼、白がね五十枚、御なか(綿)百は、はくてう三つ、御たちしん上、大くら卿より二十でうしヾら二おもて、うきやうの大夫よりすぎはら二そく、しヾら二まきしん上、〈◯中略〉しんわうの御かたへ太かうより白がね廿枚、はくてう二つ、御たちまいる、ひでよりから白がね廿まい、はくてう二つ、御たちまいる、杉原十束、これもひでよりまいる、じゆごうの御かた、女御の御かた、そのほか女中しゆ、いつものごとくおんみやあり、すえしゆ御物し女しゆまで、みな〳〵のこらず御みやあり、めでたし、する〳〵とてんきよくさんだいにてめでたきよし、てんそうしゆ御申あり、