[p.0618][p.0619][p.0620]
年中恒例記
年中御対面〈并〉雑事少々
正月十日 一御参内次第事、先御立烏帽子御直垂お被召て、三御盃おまいりて、則長橋殿迄御参、則長橋殿御冠、御指貫、御袍お御著用候て、有春御身固め在之、次伝奏禁裏様へ御案内被申入之、則長橋殿之南の方の御みすお巻あげ被申候時御参也、然に禁裏様御座所之御障子お、内より長橋殿あけられ候時、御縁と御座敷との際のかべ辺にて、御檜扇お持たれながら、ふかく御礼お御申也、其時長橋殿請じ被申候て、御庇より御簾台へ御参也、御ひさしに御茶湯在之、御茶湯棚のわきより御参入也、仍三献参、三献ながら御盃御頂戴之、これ正月にかぎる御儀也雲々、臨時の御参内時は、必二献めおば、大上臈被給之也、三献めに御酌お御沙汰也、又天酌にて天盃御頂戴之、又御酌御沙汰候て、女中衆より公家まで御れんだいにて御とおり在之、三献めの御盃、禁裏様きこしめさるヽとき、御平鞘お伝奏持参候て、御進上のよしお禁裏様へ被申入候て、禁裏様御座候御右の御たヽみの上に置被申候也、次三献以後、御肴あけ被申候て後御退出也、如本御えんへおりてて御えんぎはのさいのへんにて御礼御申候て、其儘長橋殿御退出候て、如元御直垂、御立烏帽子おめされて後、長橋殿被参、又三献参、御盃三つながらはじめらるヽ、初献の御盃長橋殿被給之、二献めのおば公家衆の中いちの上首被給之雲々、三献の御酌長橋殿持参候てきこしめされ候て、御盃長橋殿被給之、御酌也、公家衆迄御酌にて御とふり在之、如此ことすみて、長橋殿御かげへ被退て御退出也、御みす伝奏あげ被申候、〈◯中略〉 一五百匹、定て長橋殿へ参也、一献料と号、長橋殿へ伊勢守持参、 一御供之事、御供衆三騎又は五騎七騎、同御供の同朋一騎、御小者六人、走衆六人めしつれらるヽ、 一御警固は大名勤被申候、近年は大略右京大夫勤仕せらるヽのみ也、 一御出奉行とて、右筆方の内両人御さきへ伺候仕て、庭上に敷皮おしき著座仕也、 一御直廬の役と号て、同朋一人長橋殿に伺候仕て、御装束以下取あつかひ申也、長橋殿赤きへりの掛席の外にて三献在之雲々、 一御冠御装束御著用の役者は藤宰相殿、御前装束の役も公家衆也、又藤宰相殿父子御参之時は、御息は御前装束お役せらるヽ也雲々、 一禁裏様御配膳は上臈被勤申之、御相伴の配膳は佐殿也、又長橋殿と申は内侍のかしら也雲々、御ひさげは内侍の役なり、長橋殿にての御配膳は殿上人、近年は被勤申之、 一御とおりには、上臈佐殿内侍以下、次に公卿少々、正月十日御参内にかぎりて御とおりの事、公家衆之中にも参つけられたる御人数在之雲々、此御とふりに被参公家衆は、一段規摸のよし、藤宰相殿被申之也、 一御立石のきはにて御下輿の砌、公家衆あまた被参て蹲踞被申候とき、其中一の上首にそと御えしやく在之て御参也、これお参会の衆と申て、昔より御人数定まる也、御退出のときも此分也、 一禁裏様於庭上著座次第、先長橋殿の御えんのきはに、御剣の役已下御供衆伺候、次御供の同朋、走衆、次御出奉行也、走衆のうしろのへんに、御小者、公人朝夕以下在之、御供の衆は、御供の同朋迄に打刀お持、引敷の上に著座、走衆は小太刀也、大雨にて御庭しるき時は、引敷の下に打板お敷と雲説在之、 一御立石とて、伏見殿の辺に昔より石立之、其きはにて御下輿也、御輿の御あとへんに、御朝夕まいる也、 一御装束唐櫃の宰領には、公人つき申て、於長橋殿御直廬に伺候の同朋〈并〉藤中納言殿にわたし申なり、 一御道おば走衆もヽだちおとり、太刀おはきて被参候、御立石より太刀お右の手にさげ、もヽだちおおろして被参也、御供衆もヽだちおろさるヽ也、御供の同朋、御小者などは、そのぎにおよばざるのみ也、但じぎによる也、 一還御之後、御供衆、同朋、走衆、御出奉行、其日の当番衆已下、御太刀金進上之、御参内初の御礼也、