[p.0652][p.0653]
了俊大草紙
武家に御引出物お進事は、鎌倉之宮将軍の御時、正月の埦飯の御引出物より始事雲々、役人は立烏帽子に水干葛袴也、庭の座より持参しける也、沓おはきて参と雲々、一番に御剣お進之、御剣のつかの方お我左の方にして、御剣の歯の方お上になして、むねの方お下に成て、両方の足の所お諸手に取て持参して、御座の左の方に二尺ばかり隔て、左膝おつきて、御剣の甲金の頭お畳につけて、御剣お取なほして、もヽよせの方お御身の方になして、はかせ給べき様に進おきて、左の手おつきて畏て罷出也、次御弓征矢お進には、御弓お張て弦お前に成て、弓の掬革より上、摺藤の所お左手に取て、左の肩さきに御弓お打懸て持て、右手に御征矢の矢結の所お取て、箙の蜻蛉形の所お前にて、右の肩先に打懸て持参して、御前の御左方に弓お立、御右に御征矢おば置也、当時は左に弓も矢も副て立歟、式には左右に置也、次御鎧お進也、上下の役弐人して持参するなり、鎧唐櫃の蓋に置て、甲の落ぬやうに、甲の緒お鎧のしやうじの板にからみ付也、役人むかひあひて持参するあひだ、下手の役人は前に立て、うしろざまに歩也、上手の役人は跡に立て持也、御剣置つる所より少のきて置なり、北面にならぬ様に置也、主君南面に御座あらば西面に置べし、東面に御座あらば南面に置べし、如斯進置て後、下手の役人は急に罷出べし、上手の役人計り残留りて、御鎧お少押直す様にして後、畏て退出するなり、又御沓行騰お進には、行騰のうらとお含て緒お片結に結合て、白毛方お前にして、中腰の所お折て、両方の手にて持也、御沓は緒お結合て、鼻お揃へて隻手に持て、行騰の陰に持て参て、御行騰の櫛上の方お、主人の御方に成て、すその方おばこなたに成て、押のして置ざまに、御沓おば白毛のはづれに置也、立ても伏ても置也、又御馬お進には、鞍置馬一匹、はだか馬一匹、引副と号也、役人は組たる烏帽子懸おして、末お結て一からみして、袴のもヽだちお高くはさみて引也、打まぜの手縄お付て、下手の者に引するなり、下手は中間の役なり、引副の馬は始て役人同曳出也、是は下手の手縄あるべからず、隻一人引候也、
一御引出物進次第〈三献目に進之〉 一番御剣、二番御弓征矢、三番御沓行騰、四番御鎧、五番御馬也、