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東山殿年中行事
正月
八日、将軍家〈御装束同上◯元日の装束に同じ〉出御于御対面所、〈◯中略〉至是殿上人亦出于先席、護持僧達と言上して、入于閾内開御障子退刻、大覚寺殿、円満院殿御参賀、〈◯中略〉各暫著座有御加持、退去之時御縁迄送之、則入御于常御所、 正月十日、将軍家〈御装束同上〉出御于御対面所、〈◯中略〉然後申次昇御縁、閾際にて事畢之由言上之して、閉御障子て後、入御于便宜所、被改御装束、亦出御于御対面所、殿上人出于先席、摂家其外門跡と一同に披露して、如最前開御障子退刻、一人宛出座御対顔、退去之節、御縁迄御送、〈但大納言迄者無御送、清花等は任槐以後も不及御送雲々、〉次典薬頭并官外記御礼、畢而殿上人出于御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、〈前後出仕有之時は次第如斯、東西之出仕無之時は、日野三条并武家大名以下無登営、西衆とは門跡摂家清花等也、典薬頭官外記は雖為東衆列、今日は西衆之跡に就出座如斯也、公家中東西出仕之時は、官位次第出席雲々、〉 正月十一日、将軍家〈御装束同前〉出御于御対面所、〈◯中略〉申次出于先座法中と披露して、如最前開西御障子刻、南都一乗院殿、大乗院殿以下一人宛御礼、退出之後申次出于御縁閾際、事畢之由言上之、則入御于常御所、〈一乗院殿大乗院殿は、非准后故無御送雲々、〉 正月十二日、将軍家〈御装束同前〉出御于御対面所、〈◯中略〉殿上人出于前所、法中と言上して後、青蓮院殿御門下一人宛拝台顔、於是殿上人御室と披露して、入于閾内、開西御障子退節、仁和寺殿御参賀、退座砌至御縁御送、然後殿上人出于御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、 正月十三日、将軍家〈御装束同前〉出御于御対面所、〈◯中略〉申次出于前所、門跡と披露して退節、所先開の口より梶井殿、妙法院殿御参賀、退席之刻、御縁迄御送、而後申次於御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、〈妙法院殿事、六月十六日御参賀の事もありと雲々、〉