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年中恒例記
年中御対面并雑事少々
  正月六日
一御所々々〈并〉上々より御文参、御返事御所々々へは御自筆被参之、又は大上臈御筆也、安禅寺殿よりも、其旨御所々々より参御使には、帯二筋被下之、上々より参御使には、帯一すぢ被下之、奉行左京大夫局杉原につヽみて出也、
  八日
一護持僧門跡〈◯中略〉参賀
一門跡は准后に御なり候てのちにおくり御申也、いかに門跡にて御入候得共、准后にて御座候はねば、おくり御申無之、常興説也、宮御門跡は又替るべし、
一護持僧事
  三宝院門跡 聖護院門跡
  十日
一摂家清花〈并〉公家、同官務外記、典薬、又門跡〈并〉法中参賀也、
一摂家は任大臣以後おくり御申也、清花其外の公家衆は、たとひ太政大臣に被任候へ共、おくり御申儀無之候、
  十一日
一御所々々御成在之、依一献在之、
一御所々々御参の一献次第事、御所々々一台の上口より御輿お御おりありて、やがてうへくちに御座也、さて常の御所へ公方様御出座ありて後、次第々々に御所々々御茶の湯所より御参也、其次にすい花院殿類のかみ〴〵著座、さて三の御盃参、三御盃かみ〴〵へは不参、公方様きこしめされて後、上様きこしめされて、次南御所よりはじめて、御所々々きこしめす、公方様三の御盃、御所々々御三御所へ一づヽ被参也、其次初献の御さかな参、御酌は一の台也、公方様きこしめされて、次上様きこしめされて、次南御所よりはじめて、御著座次第にきこしめして、御とほり無之、二献め御酌小上臈上様はじめられて後、公方様きこしめす、次南御所より次第にきこしめして、御とほり在之、三献御酌公方様南御所はじめられて、次公方様きこしめされて、上様きこしめされて、次第に御所々々きこしめす、御とほり在之、小上臈衆にまじりて、永久房類の御はん御とほりに御参也、如此三献参て御膳あがりて後、数の御盃参て、三御盃御たまはりめは、又御所々々きこしめす、同上様へも数の御盃参て、御所々々きこしめす也、女中衆御無人のときは、御びくに衆もみやづかひ被申雲々、是は曇花院殿御説也、法慈院は上々にて候得共、四方にて参らせ候、
一御所々々、御輿おば小上臈よせ被申候、かみ〴〵は一台上臈分人よせられ候也、又播磨局類の御衆被申と申一説在之、かみ〴〵は一台の中の間より輿おおり給雲々、
一御はんも御末にて三献さかなに向はれ候、御配膳御下也、近年は伊勢同名〈并〉つめ衆勤申候也、輿は一台の御女房よせ申候、一宮々の御輿は、松の御庭の西向の唐戸へよせられて、御下輿ありて、則其御座敷に御座候也、是も小上臈よせ被申候也、御様体御所々々の御趣也、但一かどの御賞玩の御事也、〈◯中略〉
一御所々々、少々御こきいた以下進上之、
  十二日
一御室青蓮院殿御参、法中少々〈并〉宇治大路橋本已下出仕、
一御対面次第は、一番に宇治衆、次法中東より被参、其後御室青蓮院已下西の衆被参、此申次も殿上人也、御室御参候へば、被改御装束、青蓮院殿計御参の時は、不及其儀雲々、〈◯中略〉
此書、宮々御所々々かみ〴〵と雲事あり、 御比丘尼方宮之御事 大聖寺殿、安禅寺殿、慶安寺殿、岡御所、〈大慈光院と申之〉曇花院殿、入江殿、〈三慈知恩寺と申也〉以上禁裏御寺御参内勿論雲々、 御所々々之御事 南御所、〈大慈院殿と申〉入江殿、曇花院殿、通玄寺殿、総持院殿、宝鏡寺殿、光照院殿、持寿院殿
かみ〴〵の御事、次第不同、 くわうしゆ院、ほんくわう院、かうし院、すいげ院、しやうえ院、せう慶院、慈光院、ちしやう院、しやうくわう院、此外も御座候哉、
一御はんと雲事あり、右色々御所々々などの伴僧の比丘尼お御伴と雲歟、
一蔭凉軒と雲は、相国寺の西堂也、殿中に参られ、出家方の奏者お勤られしなり、