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御湯殿の上の日記
文明九年正月八日、御ぢそうのさんがあり、あんぜん寺殿、しんせう寺殿、つうげん寺殿、大しやう寺殿御まいり、御宮げに、おり御たるどもまいる、ひめみやの御方へもまいる、文禄四年正月十一日、けふはさんだいどもあり、〈◯中略〉ゆぎやう上人、せいすい寺のくわん御たいめん、ゆぎやうこたか一そく、もんしや一まきしん上申、くわんすぎはらしヾら一まきしん上申、申つぎくわんしゆ寺、〈◯中略〉やうくわんどのちやうらう二人御れい申、一そく一ほんよりまいる、これは三条申つぎ、
慶長三年正月六日、〈◯中略〉くすしども三人、ゆうあん、けんか、せう二御れい申、十帖御くすりいづれもしん上申、御がくもん所にて御たいめんあり、申つぎ、ゆうあん、けんかは中山大納言、せう二はまでのこうぢ中納言也、 八日、〈◯中略〉上せういんかれいの御あふぎしん上申さるヽ、 九日、〈◯中略〉二そんいん御れい申、十帖べざいてんの御ふだまいる、ぜんりん寺同十帖一本まいる、申つぎ三でうさい相中将、ちおん寺御れい申、一そく一本まいる、申つぎひろはし大納言、しやうげいん、大でう寺、こんかい寺、一そく一本にて御れい申、申つぎまでのこうぢ中納言、 十一日、〈◯中略〉くわんしゆ寺の門跡より三色三かまいる、けんかういんより三色三かまいる、