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槐記続編
享保十九年九月九日、夜参候、〈◯中略〉昔より正月元旦に、屠蘇、白散、度障散、膏薬お、典薬頭より献上のこと、定めて古きことなるべし、屠蘇の方は本草綱目にも、古書お引てのせたり、白散、度障散、膏薬の方は、漢の書にて不見当、如何の事にやと申上ぐ、猶近代の書に、家伝預薬集と雲へる俗書あり、此中に不残のせたれども、其出所もなし、屠蘇やらか玄朔より玄冶へ伝受の由おのせたり、慥ならず、典薬頭に尋たれども明に雲べからず、いかにやと申上ぐ、仰に此四薬のことは、延喜式、江次第に載たり、古法と見えたり、然れども何れにも方はなし、薬名の数はのせたり、但し一条禅閤の江次第の抄に、医心方お引て曰、金谷園記に雲と雲々、この金谷園記と雲もの、色々御僉議ありけれども不知、いよ〳〵方は不分明也、先は和方と究むべし、未だたしかにはあらず、