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過庭紀談

元日に屠蘇お飲むに、小者より飲み始めて、年かさの者へは結句段々に後にまはすこと、是れも唯本邦の俗礼にて、老者は年わかなるにあやかりてわかやぐ意にて、左様にすることならんと思ひしに、後漢の崔寔が月令に、小歳の拝賀には、君親椒酒従小者起とあり、小歳とは臘後一日お小歳と雲、元日のことにては無けれども、畢竟元日の屠蘇と同じことにて、椒酒従小者起と雲こと、後漢の世既にこれ有るお知るべし、其後晋の世に至りて、或人董勲に、元日に屠蘇酒お飲むに、従小者起のわけお問しに、董勲答へて、小者得歳故賀之、老者失歳故罰之、と雲しよし、時鏡新書に載れり、又唐の世に屠蘇お飲むに、小者より飲み始めて、段々年かさの者の後に飲むことお名づけて婪尾と雲、又婪尾とも書く、婪尾とはおはりおむさぼると雲義にて、老者ほど跡にてゆるりと酒およけいに飲ましむべきの意にて、老者への馳走ごヽろなるよし、荘季裕が雞肋にも、唐時称婪尾者、以老者後得酒当有余以優老也と雲へり、董勲が説と荘季裕が説とは表裏の違にて、何れもあまり確実の説とは思はれず、しかし何れにも、小者より飲み始むると雲こと、ふるきことヽ見えたり、