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後水尾院当時年中行事
上正月
常にならします方にて、あしたの物参る、〈◯中略〉しばらくしてあしたの御飯お供ず、堅固うち〳〵の体也、まいる所も定らず、御心にまかす、朔日、二日、三日、七日、十五日、立春の日みな同じ、これらは夕方の強供御の時、あしたの御はんお供ずるゆえなり、〈◯中略〉其後あさがれひお供ず、〈◯中略〉秉燭の後御祝あり、御はり袴御さげなほしあこめおかさねてめす、〈是お物のぐといふ〉うへに生気の御袍〈平絹、生気の方のいろ也、近年其さたなし、慶長のころたヾ一度着せしなり、〉おかさねて召、常御所のひがしの二帖の御座に、生気の方にむかひて著せしめ給、上臈中臈下臈ともはりばかまに五つ衣お著す、〈きぬ〉〈の下には紅ばいお着用す、綿のいりたる小そでなり、〉先あしたの御はんお供ず、鰯とかいふ御まなお、白き土器に入て同じ土器おほひて奉る、〈是おきぬかづきといふ、至極衰微の時節より、はじめて、其嘉例おうしなはで今に奉るとか、ふたおおほふは、彼御まな、下ざまに専用ものなれば、おほひかくすにこそ、〉次に御こはく御供ず、次に二の御はんお供ず、はいぜん人、強供御の先中央にある根ぶかお二ばかり、右の手しておしおりて、強供御のうへにおく、亦御前の方にあるこまかなる物お少しとりて、同じく強供御のうへにおく、是も右の手してとる也、次に御箸おとらしめ給て、二の御はんにあるかはらけお左の手にもたしめ給ひて、強供御おすこし御はしにて分て土器に入、亦二の御はんにある菜のあつものくヽたちお少うへに置てそと参る、次に平の御はんに御盃おすえて供ず、其やう、中央に三どの土器ひとつおすえて、めぐりに深草土器三つ宛重て九すう、〈是おこさかづきといふ〉都合廿七がうへにしだの葉おおほふ、はいぜんの人左手に平の御はんお持、右の手にてしだの葉おとりのけ、てうし醴酒お入おとりて、御前にさしよす、中央の御さかづきおとらしめ給ひて三献参る、加へはなし、又しだの葉おおほひて撤す、次に御ゆ御もゆお供ず、強供御おとり分られたる土器にうけまし〳〵て参る、いづれも体ばかりなり、次第に御前お撤す、〈◯中略〉 二日、〈◯中略〉夕方の御祝きのふにかはらず、くたの御はんは、昨日のお撤して、其所に今日のおとりかへておく也、今日のおばあすとりかへ、三日のおば七日にとりかへ、七日のおば十五日にとりかふる也、十五日のおばやがて其日撤する也、立春のおばやがて当座に撤する也、 三日、〈◯中略〉夕方の御祝また同じ、