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年中定例記
殿中従正月十二月迄、御対面御祝已下之事、〈◯中略〉
一御祝〈◯正月元日〉はてヽ朝供御参候、今一は伊勢守方より参り候、祓官人蜷川丹後守、同名新右衛門尉両人、おこの方へ申付候て進上申候、赤金にてうちたる鉢に入候て、日に三鉢づヽ両御所様へ参候、若君様御座候へば、それも同前に参候、赤金の鉢に入、同じく銅の鉢おふたにして、中の御末の御ゆるりに、口ながとて、是も銅のひさげの大きなるやうに、口の候物にて、湯煎にしておきて、供御の参候時、それお御末にて、うば御老ぢようきぬおきてよそひ申され候、御汁御参りおば供御方仕候、先調て丸桶とて口一尺四五寸計なる鉢お、赤漆に塗たるに、あさぎのすヾしの絹にて張たるふたおして持て参て、御懸盤に並べ申候、常は御懸盤にて参候、御台様も同前に仕候、御精進の時はあしの付たる折敷にてきこしめし候御盤にて候、いづれも青漆にぬり、内おば光明朱にて塗れたるにて候、〈◯中略〉
一八の時分、御こはぐごとて参候、御台様へも同時に参候、御所御方御座候へば同前、御手長の女中、御中臈紅の御袴、金襴のむねの守りお御掛け候、織物何れもめされ候、又縫物おもめされ候、本は織物にて御入候はヾ、えなどは日によりて定り候、男の手長は、伊勢名字の衆禁ぜられ候、名字中にも参つけたる衆にて候、我等兄弟父子、伊勢守兄弟親子、同名因幡守、備後、肥前、又下総守家に候、五人又は四人も参られ候、〈◯中略〉一御強供御は、大草毎年調進申、式三献おば進士調進申、御強供御の時七献参候、是は供御方仕候者調供申、御点心まで七献にて候、
一強供御の参やう、下の御末のさいの外迄、大草親類もちて参候お、さいの内より大草請取申て、中の御末のさいの中より、手長の衆請取候て、上の御末のさいの外まで持て参候お、御手長の女中御請取候て、御前に御ならべ候、すえ様ならび御入候、御ならべ候て後御出候、御むかひ候時、女中のうち大上臈引御なほし候、御前の事は常の人は被存間敷候、御前に御座候御方は、日野殿御一人御座候、我等祗候いたし候、