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年中行事故実考
一正月
蛤の吸物、大根汁、〈いてう形に切〉田作り鱠、是は南朝信濃宮〈中務卿宗良親王子〉の御子良王、宮方の武士四家七名字の者お召具、尾張の国津しまへ移らせ給ふ時、元日始て此祝ひありて、子孫長く津島に住給ふ、其佳例にて、当国の風俗お諸国に伝へ学ぶといへり、〈◯中略〉四家は〈山川、岡本、恒川、大橋、〉七名字は〈堀田、平野、服部、鈴木、真野、光駕、河村、〉何れも子孫今に繁栄し奉仕す、 麦飯、いなだ鱠、にらみ鰯、〈塩いわし二つ、其まヽ皿に置、〉ねぶか汁、是は三河辺元朝の佳例に用ゆ、上代質朴の風お伝へて祝ふなるべし、富だはら、〈ほだはらお結び作る〉さんぎちやう、〈二寸計の小木三枝、わらにて結びたるもの、〉是は伊勢内宮辺の佳例に用ゆ、年礼に客来れば、折敷にさんぎちやうに田づくりかうじ置合て出し、次に芋頭お椀にもりて、宝珠と名付てすゆると、是も又上古質素の風なるべし、〈◯中略〉 鰊の子、〈かずの子といふ義おとれり、〉押鮎、〈あいきやうといふ、愛敬の音に通ず、上代より祝物に用ひ来れり、〉鰊は倭字、西国にては高麗いわしといふ、朝鮮に多しと雲、正字未考、和名かどおかずと唱ふ、音便なり、其外諸の塩者お用ゆるは、昔より京都は大和山城の地にありて、山中、海辺遠き国の俗お伝来れるものと見えたり、