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嬉遊笑覧
五歌舞
万歳はもと千秋万歳といふ、〈◯中略〉その唄諸処にて異なりとなむ、其内上がた小歌、糸の時雨などに万歳あり、是は木造めけることは絶てなく、むねと商人の事おいへるは、ことにいやしき万歳になむ、その唱歌に、やしよめ〳〵京の町の、やしよめうつたるものなに〳〵、大鯛、小だひ、ぶりの大うお、あはび、さヾえ、はまぐりこ〳〵雲々、そこお打過そばたなみたれば、きんらん、どんす雲々、此小歌、大麻、松の葉などにも載せざるは、いと近く小歌には作りたる歟、されど万歳がかヽることおうたへるは、久しきことヽ見えて、寛永の発句帳に、万歳楽まづうりぞめや京の町、西武が独吟百韻に、六百は堺の町のとりやりに蛤こんと売やすみよし、自注に、万歳楽に百なら御ざれ、はしたものは売ぬ物、蛤こんとうたふなり、住吉は浜ぐりのえんにいふなりと有り、昔も下ざまの家に行ては、唱歌も相応にうたひしなるべし、〈◯中略〉 或人語りけるは、周防山口に覚定と雲ものあり、毎歳元旦に国主の城門に参る、此時門お開くお嘉礼とし、それより諸人出入す、祝詞お唱ふること、千秋万歳に似たれどもやうかはれり、其服水干に鳥かぶとお著る、士庶の家に至りて、此ことおなすといへり、これ万歳の古風残りたるなり、覚定といへるは、そのかみさる名の千秋万歳法師にてありしお、其おつぎたるものなるべし、