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嬉遊笑覧
五歌舞
鳥追はもとより一種かヽるもの有しにあらず、千秋万歳が士農工商の家に行、それぞれの職分に付て祝詞おうたひし、其内にて田家のためにせしものなり、今江戸の鳥追は、非人の女房娘にて、常には浄るりなどおうたひ、三絃ひきて来る故、俗に女大夫と呼、あるまじき名づけやうなり、この女共春毎に、衣服は木綿なれども、新らしきお著て、三四人づヽ一組となり、三絃胡弓ひきつれて、いとかしましく唄ひ来る、いつの程よりしかるにか、雍州府志悲田院の条に、〈◯中略〉是号敲与次郎又称鳥追〈◯中略〉といひ、訓蒙図彙にはたヽきとありて、注に鳥追と雲り、何れもかくあれば、敲といふが本名と聞ゆ、其図は二人にて掌お扇にてたヽくさまなり、江戸の鳥追とはいたく異なり、古き鳥追のうたひものお、浪速人の注したるあり、青陽唱話といふ、多田義俊が鳥追の歌は、殿うつり物語に似たりといへるによりて、其事の似かよふおしるせるよし注の内にみゆ、されど殿うつりは、この注者も予いまだみざる所、多田氏の僅に所々書置るお見るのみといへり、〈◯下略〉