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沢巽阿弥覚書
貞孝之御調進節分御舟絵所は、一両年上京、小川扇屋にて被書之説、又其後狩野法眼弟子に、峠右近と申仁、御被管人御扶持人候、其峠にかヽせられ候、又そののち公方様〈光源院殿◯足利義輝〉御代に、某福山新五郎時御舟の絵の事、公方様朽木より御上洛、二条妙光寺に被成御座候、其時貞孝様は、御宿妙蓮寺と申所に御座候、公方様と御台様は、大引合御舟二つ、又御造子御所々々様へ小引、上臈、中臈、御末女までは、杉原に入次第およそ調進、或時節分御伺公候て御入候へば、御所御所様の御舟不足にて、俄に福山絵筆以て参れとの御使被下、二条春日御局さま御えんにて、不足の御舟お書申候、彼節分御舟図、相阿むかしえづ有、それにて調申候事も候し、