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春の七くさ
公事根源に、延喜〈六十代醍醐天皇〉十一年正月七日に、後院より七種お供ず、〈江家次第に、後院は冷泉院朱雀院等おいふ也といへり、〉按に正月七日に、七種お供ぜしは、この御時よりことはじまるなるべし、おほよそ若菜とは、ひろく春くさの初苗おさしていふ名なり、〈◯中略〉又公事根源に天暦〈六十二代村上天皇〉四年二月二十九日、女御安子の朝臣、若菜お奉るよし、李部王の日記にみえたり、〈李部王は式部卿兼明親王、延喜の皇子なり、〉若菜お十二種供ずる事あり、其種々は、若菜、はこべら、苣、せり、蕨、なづな、あふひ、芝、蓬、水蓼、水雲、〈一に薊〉松と見へたり、〈◯中略〉天暦の御時に、十二種の名物は備たれど、七種の名物はいまだ詳ならず、〈◯中略〉或はいふ今松尾の社家より奉る七種は、芹、なづな、御形、〈はヽこぐさ〉はこべら、仏の座、〈是は周定王救荒本草の風輪菜に充しくさなり、〉すヾな、〈かぶらな〉すヾしろ、〈大根〉又あるひはいふ、今水無瀬家より献ずる若菜の御羹は、青菜と薺ばかりなりとぞ、また櫃司供御所より奉る七種の御粥は、薺お少しまじへて奉るといへり、〈以上の三説は皆伝へ聞たる事なれば、したしくしらず、〉今関東にて七種の粥といふは、青菜となづなおまじへて祝ふなり、