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三養雑記

七種のはやし詞 正月七日に、七種の若菜おいはふことは、都鄙ともにするわざなり、六日の夜、七くさおたヽくはやし詞に、七くさなづな、たうどのとりと、にほんのとりと、わたらぬさきに、といふことは、何のわけともしらで、ならはしのまヽに、家ごとに唱ふることなり、桐火桶といふ冊子に、正月七日、七草おたヽくに、七づヽ七度、かやうなれば四十九たヽくやと、有職の人申けると計なり、これもしひて問申ければ、それまでのことはとて、笑つヽ語りたまふ、まづ七くさは七星なり、四十九たヽくは、七曜、九曜、廿八宿、五星、合せて四十九の星おまつるなり、唐土の鳥と、日本の鳥と、わたらぬ先に、七くさ薺、手につみ入て、亢觜斗張げに〳〵さりげなきやうにて、物の大事は侍りけりと、いよ〳〵あふがれてこそ侍りしかと見えたり、この亢觜斗張は、廿八宿の中の四宿にて、いづれも吉方の星宿なり、〈宿曜経に見えたり〉さて唐土の鳥といふは、証とするほどのものにはあらねど、七草冊子といふものに、須弥の南にはくが鳥といふ鳥あり、かの鳥の長生おすること八千年なり、此鳥春のはじめ毎に、七色の草おあつめてふくするゆえに長生おするなり、はくが鳥の命お、女が親の命に転じかへてとらせん、七色の草お集て、柳の木のばんに載て、玉椿の枝にて、正月六日の酉の時よりはじめて、此草おうつべしとあり、