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日本歳時記
二正月
十五日 今朝小豆粥お煮て糕おまじへてこれお食す、清少納言が枕草子に、十五日はもちがゆのせくまいるとかきしも此事なり、寛平の比より初りしとかや、又七種の粥といへるは、米、粟、黍子、薭子、葟子、胡麻子、小豆也と、延喜式に見えたり、又九条の右丞相の記には、白穀、まめ、あづき、粟、栗、柿、さヽげなどなりとしるせり、正月に地黄粥、防風粥、紫蘇粥などおくらへば、人によろしきといふ事、千金月令にみえたり、 世風記に、正月十五日小豆粥お煮て天狗祭おなす、庭中に案お置、そのうへに粥おそなへ、その粥凝時、東方にむかひ再拝長跪して是お服すれば、疫気なしといへり、此外続斉諧記、劉敬叔が異苑などに、さま〴〵の説侍れど、みな妖妄の説にして信ずるにたらず、玉燭宝典に、正月十五日膏粥おつくりて、門戸お祭るとしるせり、又荊楚歳時記にも、正月十五日豆糜おつくりて、油膏おそのうへにくはへ、門戸おまつると見えたり、月令にも孟春に戸お祭るといふ事侍れば、是なん拠とはすべき、