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守貞漫稿
二十六
正月十五日、十六日、俗に小正月と雲、 元日と同く戸おとざす、又三都ともに今朝(十五日)赤小豆粥お食す、京坂は此かゆに聊か塩お加ふ、江戸は平日かゆお不食、故に粥お不好者多く、今朝のかゆに専ら白砂糖おかけて食す也、塩は加へず、又今日の粥お余し蓄へて、正月十八日に食す、俗に十八粥(○○○)と雲、京坂には此こと無し、〈◯中略〉江戸にては武家及び市民ともに、削り掛と雲物お、今日のかゆお以て諸門戸に垂る、柳の木お以て制之、上は箸の如く、下は図の如く、〈◯図略〉細く削り掛たり、小なる物長二三寸、大は尺余もあり、武邸等は尺余の物お用ふ、民戸は専ら小形多し、門戸正中の上に釣る、〈◯中略〉 南畝〈号蜀山人と号す、援に二三十年前と雲は明和に当る、〉曰、削掛け二三け年前迄は門松お割り、或は柳おも削る、今は削る人なし、 守貞雲、今は自ら不削也、数十お四銭計にて売り来る故也、古は自制也、