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日本歳時記
二正月
十五日、今日お上元といふ、是道家の説なり、今暁門松注連縄等お俗にしたがひて焼べし、但家ちかき所にてやけば、火炎の憂あり、爆竹の火より回禄出来たる事、近年も多し、しかれば家近き所、又は宅せばくは、竃の下に焼べし、風静なる夜は、門外に焼も又可なり、〈爆竹とは、竹おたきてはしらしむる事なり、〉 我国に今日爆竹する事定説なし、いつの比より初りし事にや、もろこしには、元日庭前に爆竹すれば、山臊悪鬼お辟るといふ事、歳時記に見えたり、又除夜にもするとなんされば王荊公が詩にも、爆竹声中一歳除と作れり、上元には、漢の武帝の、大乙お祭るに、昏時より夜のあくるまでおこなふお、事の始として燃灯の事あり、又正月望夜庭燎お設くといふ事、開元遺事に見えたり、天竺には、正月十五日僧徒あつまりて、灯おともし仏舎利お見る事あり、爆竹の事なし、日本のさぎちやうは、僧家にいひつたふるは、後漢の明帝の時、初て天竺よりもろこしに仏法わたる、五岳の道士、是おやぶらむと訴るによりて、そのしるしおみんとて、仏経お左におき、道士の書お右におきて、火おかくるに、道士の書焼たり、されば左の義長ぜりといひて、左義長と雲、又西域義長や東土(とうど)とはやす、〈京都の俗に、爆竹お東土(とんど)と雲も是によれり、〉西域仏法の義まさりて、東土へ流布すといふ事なりともいへり、是は沙門のかきおける事なれば、我道お誉たるなるべし、〈林羅山の説なり〉しかればみぎの説は拠とするにたらず、又陰陽家の説には、巨旦将来お調伏の威儀なりとて、三笈杖焼斎会は、三毒退治のことはりなるよし、晴明が簠簋内伝に見え侍れど、これ又妄誕の説なれば、凱信ずるにたらんや、但もろこしにて、除夜元日などに爆竹する事あるおまなびて、我国には今日するならし、春の始なれば、一年の邪気おはらひ散せる意なるべし、呉の俗、十二月廿五日爆竹するよし、範至能が説にみえ侍れば、あながち除夜元日にのみする事にてもあらざるべし、凡爆竹の声は、陰気の鬱滞せるお発散し、邪気お驚かしむるとなり、神異経にいはく、西方深山中有人焉、長尺余、犯人則病寒熱、名曰山臊、其音自叫、人嘗以竹著火中、熚爆而有声、山臊皆驚憚、又朱子語類に、或人のいはく、郷間に李三といふものあり、死して砺となる、郷曲凡祭祀仏事あれば、かならず此人のために別に饌具おそなふ、若かくのごとくせざれば、斎食尽く為所汚、後に人ありて、爆杖お放てその所依の樹お焚、是より遂に絶てやみぬ、朱子のいはく、是他枉死気未散、被爆杖驚散了、又焦氏筆乗に、李畋該聞集お引ていはく、爆竹、妖気お辟事信然たり、隣人に仲叟といふものあり、山鬼のために祟おなされて、戸牖お開く事あたはず、山鬼しきりに瓦石お投て妨おなす、叟、巫覡お求てこれおいのりければ、却て妖、祟おなすこといよ〳〵さかんなり、畋これに謂ていはく、日夜庭中において、除夜のごとく爆竹する事数十竿せよ、叟その言お然りとして、爆竹して暁にいたる、これより妖祟の事やみしとなん、この数説お以て見れば、爆竹の邪気お辟る事、其理あり、しいがたし、