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後水尾院当時年中行事
上正月
十五日〈◯中略〉清凉でんの東庭にて御吉書之三毬打〈近き記に小三き打とあり〉あり、〈三毬打は近年山科しん上す、御領の御代官おせし時よりしん上して、其例おうしなはで、今は御代官ならねど、しん上するなり、〉清凉殿へ渡らせおはします、〈◯中略〉内侍御座に御剣おもち、御さきに行、又勾当の内侍、御吉書お硯のふたにすえてもちて、御うしろに行、もやの東の庇にかまへたる御座につかしめ給ふ、勾当内侍、御座に御剣おく、又勾当内侍もちたる御吉書おとりて、同庇の南第一の間の簾のしたよりさし出せば、蔵人さしよりて、御吉書おうけとりて、東階にのぞむ、修理職の者〈慶長のころまでは、すあおお著す、近年布衣お著す、〉階にすヽみて、御吉書お給はりて、三毬打のもとにあゆみより、御吉書お入て帰り参る、蔵人階の南にある燭だいのろうそくおとりて、しゆりしきの者にあたふ、又三毬打のもとにゆきて火おつく、牛飼仕丁〈じつとくお著す〉等声おあげてはやす也、事はてヽおはりて、三毬打の竹二本お、御吉書のすわりたる硯のふたにすえて、しゆりしきのものもて参る、蔵人これおとりて、御吉書いだしたるすだれの下へ入べし、内侍とり御前にもて参〈る〉、のち還御、