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故実拾要

正月 十八日爆竹 是去る十五日、自山科家献上の左義長、今日清凉殿の於南庭焼上也、天子出御清凉殿に有天覧、極臈此事お催す也、又御殿の階の下に、北面の侍両人跪候也、件の左義長焼上る時、陰陽師大黒囃之〈大黒とは其陰陽師の称号の如し〉也、凡其次第先陰陽師大黒烏帽子素袍お著し、扇お持ち、清凉殿の御庭の中央の右の方に立て囃之、又陰陽師両人麻上下お著し、笹の枝に白紙お切下て持之、件の大黒と立向囃之、次に鬼面お掛たる童子一人、金銀お以左巻に画たる短き棒お持舞曲おなす、次に面お懸赤き頭お被りたる童子二人、太鼔お持て舞曲す、次金立烏帽子に大口お著し、小き羯鼔お掛て打鳴之舞曲おなす、又笛一管、小鼔一挺、半上下お著したる者打囃之也、但舞曲おなす間に、件の左義長に御吉書お添て焼上る也、又焼上る左義長の数は十二三飾也、