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年年随筆

此ころの歌よみ、子日といふ題に、小松およみて若菜およまず、子日遊の子細おしらざる也、後撰集に子日の歌五首ある、小松のなき歌もまじれヽど、若菜よまぬはなし、小松も菜の一種なり、されど千年万代と、めでたる物なる故、とりわきたるにて、つひには小松引ばかりの事に人おもへり、かの後撰集のうた、朱雀院の子日におはしましけるに、さはる事侍りてえつかうまつらずして、延光朝臣につかはしける、左大臣、松もひきわかなもつまずなりぬるおいつしか桜はやもさかなむ、院の御かへし、まつにくる人しなければ春の野のわかなも何もかひなかりけり、小松引になんまかると人のいひければ、君のみや野べに小松お引にゆく我もかたみにつまむわかなお、宇多院、子日せんと有ければ、式部卿のみこおさそふとて、行明親王、故郷の野べ見にゆくといふめるおいざ諸ともにわかなつみてむ、子日しにまかりける人のもとに、おくれ侍りてつかはしける、みつね、春の野に心おだにもやらぬ身は若菜はつまで年おこそつめ、と有、五首こと〴〵く若菜およみて、二首は小松およまず、正明これにこヽろづきて、子日に若菜おみづからもよみ、人にもおしへてよまする事なり、七種の菜は、すヾなすヾしろなどヽは、たがへる物也、年中行事秘抄にや有けん、白河院仰に、松お添て奉るはひがごと也、菘と書てなとよむ也と、の玉へりし事みえたりき、其頃はやう松はくはざりし也、〈◯中略〉今時好事のひと、子日に野外に遊びて小松はひけど、何にすべき物ともしらず、俊成卿歌に、さヾなみやしがの浜松ふりにけり誰世にひける子日なるらん、とあるは、引栽しことなれば、はやう実おうしなひし也、