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蒼梧随筆

白馬節会拝見のありさま 正月七日の節会お白馬〈阿於と訓ず〉の節会といえり、抑春は東方に位して木の徳あり、木の色は青し、よて青陽共、青春とも賀す、然して年のはじめに馬お見れば、其年の邪魔お除くといへる事、礼記に見えたり、是お以、今日主上群臣と共に白馬お覧し玉ふの義也、〈◯中略〉 古此節会には、月毛の馬お廿一匹牽出て底上おわたる事なり、則左馬寮より十匹、右馬寮より十匹、此外に余馬と称して、左右馬寮より隔年に一匹づヽ牽わたせるよし也、是は大内裏時の義にて、諸の官舎も備り、庭上も其お行るヽにたへたる結構なるゆへなり、今は庭上もせは〳〵しく、左右馬寮も名のみなるおもて、たヾ礼容お失ざるの義のみにて、廿一匹の十分一にて、たヾ二匹お引わたすのみなり、然れども節会に大小の二様あり、白馬と豊の明りは、大節会にて、元日踏歌などいへるより、又一しほに厳重なる趣きなるよし也、中世以来、四節会共〈元日、白馬、踏歌、豊明、〉大凡酉の刻の催にて、日入て後の行事にて、其御式のはてぬるは暁方に及べり、然るに当今〈◯光格〉の御代に至りて、殊更の僉議おもて、馬は青春覧し玉ふ事は、春の陽気おむかへて邪気おはらふの古実にて、旧例も昼の間に馬お覧し給へる事なり、去れば古は除目の義は六日の事なりしかども、其式の繁多なるに及ては暁に及べる事もありしによて、然る時は白馬の節会の妨なりとて、五日に除目お転ぜられて行るヽよし桃花の御説見えたれば、古しへ、白馬の御式は、昼行れし事顕然たるもの也、去程に今年の春、去年の霜月に京上して、其処此処消遥して、おもはず年お重ねたるの幸に、件の御式お拝し奉りし、其義年来拝し来れるに聊も替れる事なく、誠に厳重なる御次第なりし、況や毎年拝見せしは、夜の節会のみなりしに、此年や幸に右のごとく改たりし白日の御式、殊にもて田舎翁が眼お驚し奉る事のみなりしまヽ荒々拝見の趣左に筆して、孫子供への家土産に備るものなり、 抑御節会の式は、内弁外弁の公卿、武官の警固、執柄の諸司等、夫々の束帯して、堂上砌下より集ひ給ふこと、式は御帳台〈江〉出御の御作法、公卿の練足、宣命の次第、又庭上に版お設、標お建、鳥瓶子とて、頂に鳥の形の五色に色どりたる大瓶子お居置れて、御酒お設給ふのありさま、内弁の大臣の開門、闈司等お仰するの事、又は立楽お奏し、舞妓の袖おひるがへし舞つるの事、其義はてヽ、月花門にして禄お給ふまでも、悉く三節会豊の明りに同じ次第也、然して今日の義の替れるありさま、其大抵お申さんには、外弁の公卿南門より練り参らせられて、西の階より昇殿まし〳〵、台盤につかせられて、御酒賜へる一献二献の間に、立楽とて、舞人楽人庭上にすヽみ出て音楽お奏し、舞妓は東階のもとにて、袖おひるがへして、舞ひかなでしありさま、〈此時楽前の大夫とて、中務の丞束帯して舞妓お誘ひめぐる也、舞姫は五衣に裳からぎぬ等お著す、二人也、〉其間に庭上に立らるヽ鳥瓶子より、造酒司の御酒うつすありさま、内豎の進退、殊に以て厳也、又此間に庭上に立られたる標版お撤して、砂おならして庭の面お粧へば、馬寮の頭日花門より馬部舎人お率て、白き馬二匹庭上お引わたして、月花門の方へわたる也、〈此二匹の馬には、各々馬衣おかけて引わたす也、〉此義は御帳台の中より叡覧まし〳〵、群臣も共に拝見して、事はてヽ入御まし〳〵、公卿も又西の階お下りて退りたまふありさま也、扠月花門の許には、大蔵省の官人、禄のものおかづくありさま、最厳重也、 此節会、辰の刻の催しといえ共、やう〳〵午の刻より少し前に始まる事、後には夜に入候ゆへ、退り給ふには、唐門より炬火おとりて、召具のもの供まうすありさま、申も中々及びなき事なり、〈◯中略〉 天明八年正月十日記之 老邁嘉樹〈◯大塚〉