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公事根源
正月
踏歌節会    十六日
踏歌といふは、正月十五日の男踏歌の事にて侍べし、近比行れ侍るは女踏歌なり、それは十六日なり、光源氏の物語などにもおほくはおとこ踏歌の事お申侍るにや、大かた正月十五六日は月の比なれば、京中の男女の声よく物うたふおめしつどへて、年始の祝詞おつくりて、舞おまはせなどせられ侍し故に、踏歌とは申なめり、天武天皇三年正月に、大極殿に渡御なりて、男女わかつ事なく、闇夜踏歌の事有と見えたり、然ば月の比ならねども、烏羽玉の闇の夜にも有しにや、持統天皇の御時は、漢人踏歌おそうし、唐人踏歌おそうす、〈◯中略〉延暦十四年の正月には、詩お作りてうたひけるとかや、おほよそ節会の儀式は常の事なれば、今更記不及、〈◯中略〉踏歌節会おばあらればしりのとよのあかり共申にや、或はあられまじりと、宣命の譜にはよめり、此殿竹川おうたひて、高巾子綿の華おつくる事は、男踏歌の事なるべし、今の代に行侍るは、十六日の女踏歌なんかし、