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源平盛衰記
二十八
天変附蹈歌節会事
抑蹈歌節会と申は、人王三十九代の御門、天智天皇の御時より被始置たる事也、其時の都は近江国志賀郡大津宮とぞ承、此御時鎌足大臣始て藤原姓お給て、奥州守に任ず、常陸国より白雉一羽、一尺二寸の角生たる白馬一匹奉る、鎌足大臣是お捧て殿上に参る、彼送文雲、雉色白者、表皇沢之潔、馬角長者、治上寿之世とぞ書たりける、彼雉お其角に居て、大臣乗て南庭に遊、聖代の奇物何事か是に如かんや、天子御感有て鎌足お賞し、金銀色々の賞多かりけり、此事正月十六日の午時の始也ければ、其例として年々の正月十六日、雲の上人参て、馬に乗て引出物お給る事あり、溶々たる池お堀て水お湛へ、田々たる草お植て雉お飼給き、四季に花さく桜お植て、駒お遊ばしめ給しより、是お志賀の花園とは申也、蹈歌節会と名て、代々の御門いまだ怠り給はず、〈◯下略〉