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歳時故実大概
二月
事始〈一説には事納なりともいへり、いづれか詳ならず、〉或説に、神代武甕槌命魔鬼制伏出陣の日なり、〈十二月八日は、帰陣の日なりとはいへり、〉むかし神託の告ありて、此日靫に矢おもりて神へ奉りしより、今も目籠お竿の先にかけて庭中へ建る、是則靫お捧し遺風なりと雲り、〈俗説不詳、いづれの書にも此事見えず、〉 又国俗十二月八日お事始として、正月の事お取り賄ひ始る日とし、二月八日お正月の事お賄ひ納る日といへり、是又拠なし、十二月八日は臘八とて、竈お祭るの日なり、是等は十二月の部に記し申べき也、又案に、靫おさヽげし遺風にて、目かごお用るも猶拠あり、元来矢お盛お箙又胡籙ともに、元と蚕お養ひし匡なり、夫お用ひて矢お盛りたるが故に、箙の字は竹冠にして服の字作りたり、えびらと雲は衣枚の訓也、胡籙は漢字にて、訓は矢の杭とも、又矢の根お喰せ置故に、矢の喰ともいえり、〈二説也〉如此其起る所は匡よりなれば、今の世目籠お用るも然るべし、或雲、籠の目の多きによて、鬼魅おして恐れしむとも、何も俗論なり、