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俳諧歳時記
二月
事納〈八日〉 針供養(○○○)、六質汁(むしつしる/○○○)、武江の俗二月八日お事おさめとし、十二月八日お事はじめといひて、竹竿の先に目笊お付けて家々の軒に出す、又今日芋、牛房、大根、赤小豆等の六種お享て汁とし、これお六質汁と名づく、婦人は針の折たるお集て、淡島の宮へ納め、一日線針の業お停、これお針供養といふ、いまだその由来おしらず、或はいふ、大凡十二月八日ごろより、年頭嘉祝の事お始め、二月初旬に至りてそのこと終る故に、この名ありと、或はいふ、廿日源義家朝臣奥羽征伐の日、先づ大屋大夫が家に陣す、この時東国半はいまだ服せず、大夫同志の者に約すらく、八幡殿に志あらん者は、門に識お出して証とせよと、こヽに於各門に靫お掛て、二心なきことお示す、義家朝臣奥羽征伐の事お始たまひしは、十二月八日にして、軍機の事お納給ひしは、二月八日也、今も軒に目籠お出すこと、此遺意也と、この言無稽にちかし、何ぞ信ずるに足らん、しかれども二月線針お停ることは已に久し、五雑俎に雲、唐宋以前皆以社日停針線、而不知其所従起也雲雲、謝肇浙雲、呂公忌雲、社日男女輟業一日、否則令人不聡、始知俗伝社日飲酒治耳聾者如此、而停針線者亦如此也、本朝の俗二月線針お停ることは、これによる歟、しかれども社日お以せずして、八日お以し、八月おいはずして十二月とす、是いまだ解べからざるもの也、