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諸国図会年中行事大成
二上二月
十五日今日、諸寺に掛る所の涅槃像の中、名画と称するもの、仏光寺新坊の像、〈唐筆、涅槃前十四日の体相也、〉西の岡長法寺の像、〈唐筆、十六日の図なり、〉京極通廬山寺の像、〈思恭筆、仏足お摩る人お、耆婆医王如来と雲は非なり、一老婆哀んで仏足に涙お落し、異色となすものなりと、釈迦譜お引て、此像お証とす、〉又今日、二条通木屋町善導寺に掛る所の、三十二相の観音、十六羅漢の像、最奇観なり、其余寺院に安ずる所の名画多し、繁によつて略之、〈江戸、大坂、及び諸国の分は、後編に記す、〉
大雲院(○○○)涅槃会 京極通四条の南にあり 巳刻、釈迦仏像〈恵心作、長二尺三寸、〉輿に乗せ、衆僧香華お捧げ、行楽お奏して、本堂より羅漢堂に遷し、楽法事あり、日中舎利会お修し、申刻、釈尊の像お本堂に還座なさしめ、〈行粧始に同じ〉法事音楽あり、開山貞安上人よりこれお勤む、〈◯中略〉 嵯峨柱炬(さがのはしらたいまつ) 清凉寺(○○○)釈迦堂前に於て、大続松三基お建て、暮に及び火お点じ、各続松お摎り、弥陀号お唱ふ、是西域に於て、釈尊の遺骸お荼毘せし遺意なりとぞ、〈其式、釈迦堂の前に、四間許の大炬お三け所に立、めぐりには竹お立て、夫に竹の葉、杉葉の燥きたるお数多結び付、堂前には、近〉〈郷十三け村、所謂毘沙門町、大門町、中院町、川端村、立石造道、池裏村、小淵村、仙翁寺村、山本村、往生院村、新在家村、小嵯峨村、観空寺村の百姓、各かはる〴〵に策火お焼き、鉦おうち、念仏お唱ふ、暮六つ半時に至れば、大覚寺御門跡の候人、挑灯お照らし、火消役の者お数多召連、堂前に来りて、おのおの炬火の前に列し、火消役は、過半大門の階上に登る、是大門非常の備にあつる所、又本堂の方にも居ならび、其体厳重にこれお備ふ、其後常磐村の西なる中野村といへる穢多の者七人来る、其内の魁首たる者一人、烏帽子素襖お著して、炬火の囲に立、刻限に至ば、此穢多の者、火お燧(すり)て藁に燃し、竿頭に付て、大炬火の上より落すと等しく、此火竹の葉、杉葉にもえ付、大炬に移りて、次第に下の方へ火移り、一度に焰々と燃あがる、其余二本の炬も亦斯の如くして、三本等しく炎熾んなる時、魁首一人刀お抜きて、あたりおめぐる事三度す、むかしは七人のもの、みな刀お抜き、めぐりしと雲へり、此火熾んなりし程に、火消の者、纏おふり立、前後お警固す、見物遠近より群参して、堂上或は茶店諸堂の軒端に、稲麻のごとく逼合たり、炬は半燃たつ時、横に倒し、消終るお限りとす、〉