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倭訓栞
前編二十五比
ひがん 源氏に、十六日ひがんのはじめにてとも、又ひがんのはてとも見えたり、諸説仏語お引れたれど附会多し、大般若経に、即便前進得到彼岸と見ゆ、我邦上代に、般若波羅密会行はれし、生死お此岸とし、涅槃お彼岸とし、波羅密お到彼岸と飜す、よて彼岸会といへり、されば七日の仏事、日本にのみ行はれて、西土天竺にはなき事成よし、砥平石録に見ゆ、春秋二仲昼夜過不及なし、此お時正といふ、日本後紀に、国分僧に、春秋二中、月別七日、存心金剛般若経お転読せしむるよし見ゆといへり、新古今集に、
 今こヽに入日お見てもおもひ知れ弥陀の御国の夕暮の空
日没観の意なるべし、二中の入日は、わけて日光の嚇奕たる観て知ぬべし、
天日、天の中道お廻り、昼夜の長短相ひとしきおもて也、夫木集に、
 けふ出る春の半の朝日こそまさしき西の方はさすらめ