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百家琦行伝

河内屋太郎兵衛
大坂備後町堺筋に、河内屋太郎兵衛といふ者ありけり、世人略して河太郎と呼ぬ、商家にして家もつとも富り、安永より寛政の頃まで、浪華に名高き滑稽家なり、常に人と談話するに、其おもしろき事譬ふべからず、浪華の風俗にて、彼岸の茶の子といふ物お、家毎にくばる事あり、是は彼岸会のこヽろざしなれば、みな斎物お専として、蘿蔔四五根、豆腐一ちやう、或は胡蘿蔔牛房のたぐひ、其外何にまれ、価十四五銭ぐらいより、廿四五銭が程のものおくばる事、家毎大やう相おなじ、河太郎思ふやう、彼岸の茶の子、何れも同じ物おやつたり貰たり、不益の事なり、何ぞ跡にのこりて、要にたつものお配んと思ひ、或彼岸に竹お多く買入おき、物干竿お一本づヽ配りけり、衆人おかしき茶の子なりとて笑ひしが、後々永く要に立て、何日までも河太郎が名おいひ続しとぞ、〈◯下略〉