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雛遊の記

三月三日に蒭(ひな)祭する事は、唐土にても、鄭の国には溱有といふ川の上にて、貴賤男女あつまり、蘭といふ草お取て、災難厄難お祓除する儀式有て、文人は盃お流して詩お作り、酒宴して遊ぶ、これお曲水宴といふ、本朝にては、二十四代顕宗天皇の元年三月、巳日の祓とて、花園へ御幸まし〳〵、始て曲水宴おなし給ふよし、日本紀に見へたり、我朝にても唐土にても、其むかしは、三月上の巳の日に此事ありしが、唐土にては巍の代の時、上の巳の日お止て、三月三日に定めしと、宋書といふ書に記侍りぬ、我国にても、上巳の節とはいへども、今は三月三日にいとなむ事とはなり侍る、