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日本後紀
十二桓武
延暦廿三年三月戊寅、〈◯三日〉宴次侍従以上、命文人賦詩、賜物有差、
◯按ずるに、曲水の宴は、此後平城天皇の大同三年に停止せられたれど、菅家文草に、三月三日同賦花時天似酔応製とありて、其序に、春之暮月、月之三朝、天酔于花、桃李盛也、我君一日之沢、万機之余、曲水雖遥、遺塵雖絶、書巴字而知地勢、思巍文以玩風流、とあれば、宇多醍醐の朝の頃には、朝儀として行はしめしにはあらざれど、文人に命じて詩お上らしめし事はありしなり、