[p.1084][p.1085]
有徳院殿御実紀附録
十六
なにごとも継絶興廃のこと、まつりごち玉ふあまり、公武ともに久しく絶たりし曲水の宴お、一度おこし玉はむとの御事にて、成島道筑信遍に仰ありて、中右記等おはじめ、和漢の書の中より、古例あまねくさぐりもとめられ、そのうへにも御みづからの盛慮もて、古今お斟酌し玉ひ、遂に一時のおきておさだめられ、享保十七年三月三日、その事行はるべかりしに、雨にさはりて、同じき四月二日、遂にとげ行はる、巨勢大和守利啓、田沼主殿頭意行、小堀土佐守政方、菅沼主膳正正定、伊丹三郎右衛門直賢、大島雲平以興、大久保源次郎忠喬おはじめ、和漢の才人、各御庭の池辺に座お設け觴お流し、各詩歌お賦す、信遍は別の仰事おうけて、この座に列し、七言の古体おつくりて奉る、ことはてヽみな御前に召て禄多く賜はり、各歓おつくして退きぬ、けふの序は浦上弥五左衛門直方〈小納戸〉書て奉る、信遍はさらにかなの記おかきて進らせたり、その草稿は今も家に存せり、