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古今要覧稿
歳時
ひヽなあそび〈ひヽなあはせひヽなまつり(○○○○○○)〉 ひヽなあそびの始、さだかならず、崇神天皇の御時、和珥坂の少女の歌に、比売那素寐殊望(ひめなそびすも)とあるお、私記に、今案、ひヽな遊なりといへり、弘仁私記か、公望私記か、しらずといへ共、公望、承平六年十二月八日、宜陽殿東廂に於て日本紀お講ずといへば、其ころの私記ならん、さらばたとひ崇神天皇の御時よりありといふことは、うたがはしくあり共、承平の前より行はれしことは、うたがひなかるべし、〈釈日本紀〉天暦四年、東宮御殿祭の条に、ひひなの料といふものおあげ、〈御産部類記引九記〉うつぼ物語に、右大将の、とう宮わかみやに、もてあそびもの奉り給ふといふ下に、ひいなに子の日させなどあるお合考ふるに、当時は、やごとなきあたりにても、せさせ給ふ事としらる、たヾしこれはあまがつ、はふこの類にて、それよりうつりて、ひヽなあはせなどいふこと、さかりにおこなはる、〈斎宮女御集、中務集、うつぼ物語、源氏物語、清少納言枕冊子、〉されど時節はさだまらざりしお、今のごとく三月にかぎりて、家こどにかざりまつることも、後土御門院の御宇の比は、すでに有しと見えて、飛鳥井栄雅の三月三日雛遊の歌、月刈藻集に見えたり、〈たヾし本集には見えず、此卿は文明五年に出家して、延徳六年に薨ぜられたり、すなはち後土御門院の御時なり、〉さるお一条禅閤の世諺問答にしるされざりしは、世間一統の事にはあらざりしなるべし、さていにしへは、時節にかヽはらざりしお、今はかならず三月三日におこなふことヽなりしは、上巳の祓の人形と、ひなあそびと混ぜしなるべしといへり、〈日次記事、塩尻、伊勢貞丈ひな問答稲山行教説、〉一説には、幸の神祭の遺風なるべしともいへり、〈塩尻〉