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骨董集
上編下前
三月三日の雛遊 古代のひいな遊びは、平日の玩なりし事は、前にいへるが如し、三月三日お期とせしは、いづれの比歟、詳ならず、〈◯中略〉無言抄に、雛、人形の事也とのみありて、季おさだめず、雑也、此書は天正七年より二とせあまりに、これお記すとあれば、天正の比も、いまだ三月三日にさだまらざりしか、御傘にも雛お雑とす、増山の井〈寛文三年印行〉三月三日の条に雲、ひいな遊こそ慥なる期もあらねば、打まかせては雑なるべし雲々、但聊あひしらひあらば、此比の俗にまかせて、今日の事にも成ぬべし雲々とあり、是等お合せ考るに、三月三日お期とせしは、とほからぬ事なるべし、天正以後の事歟、 三月上の巳の日、水辺に祓する事、和漢ともに古し、源氏物語須磨の巻に、源氏須磨へ左遷の時、三月の朔日巳の日にて、浦辺に出、陰陽師おめして祓せさせ給ひ、舟にこと〴〵しき人形おのせて、流させ給ひし事見え、加茂保憲女集に、おほぬさにかきなでながすあまがつはいくその人のふちおみるらん、などもいへれば、上巳の祓に、天児お水に流せし事もありしなるべし、後世に、三月上巳お雛遊の期とせしは、是等の遺意にて、天児母子(あまがつはうこ/○○○○)等の贖物に酒食お供じ、もろ〳〵の凶事お是におはせ、おのれ〳〵が身お祝ひしが、やヽ古の雛遊びの方にうつりて、つひに今の如くにはなれるなるべし、国朝佳節録、三月三日、児女制紙人為玩者、贖物之義、乃祓具也雲々といへり、然則原潔身の神事によりて起りたれば、今の世には、雛遊といはで雛祭と称るも、縁なきにはあらざりけり、
〈古へのひいな遊びは、たはぶれのみ也、今のは、たはぶれの遊びわざにあらず、女は高きいやしき、嫁しては夫にしたがひ、男は外おおさめ、女は内おおさむるものなれば、幼時より嫁して夫につかふるわざ、家業の事も、ひいな遊びにてそのまねびおなし、手馴ならはしむるお本意とすめれば、民の童は、ことに飯かしぐわざまでもこれに手馴、家内むつまじき体おまねび、質素おむねとして、美巧おこのむまじきことぞかし、今の世の女児の、男女のかたちおつくりて、夫婦こと、又奴婢のさまなどなして遊べるぞ、かへりて中昔のひいな遊びにもかよひ、伊勢の小米(こごめ)びなにもかよへりといふべき、〉