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松の落葉

比々奈 今の世、三月三日に、女のわらはのいはひごととて、比々奈おかしづきまつることあり、此事おのれ〈◯藤井高尚〉がおもひとれるやうおいひてん、上巳のはらへとて、いにしへ三月のはじめの巳の日にせしはらへお、はやうより三日にかぎりてなすことヽなり、中ごろの陰陽師のはらへするやう、はらへどに神おまつり、人がたおおくなる、其人がたのちひさきお比々奈といひて、神おまつるかたへにあるからに、神のごとくおもひまがへて、まつることヽはなりぬるなめり、めのわらはのものとすなるは、源氏物語の若紫の巻に、源氏君の詞に、いざたまへよ、おかしきえなどおほく、ひヽなあそびなどするところにと、いひたまふは、紫上のいとおさなきころにて、比々奈おもてあそびぐさにしたまふゆえなり、さる世のならひより、めのわらはのものとはなれるなるべし、そのはじめおおもへば、しかるべくなんあらぬ、江家次第十七の巻、立太子のくだりに、或幼宮時、以女房為陪膳雲々、奉帳中阿末加津雲々、但有常阿末加津土器撤、其後供比々奈、とあるお見れば、比々奈は阿末加津のたぐひにて、おさなき人のかたへにおく人がたなり、これも陰陽師のおしへてなさしむるわざにぞありける、おさなき人のかたへに、うちまきおおくと同じく、はらへより出たることなるべし、いとけなき子のれうなれば、ちひさきおつくれり、かたへにあれば、おのづからもてあそびぐさともなしつるになん、たヾしめのわらはの情にかなへるものなれば、そのかたには、かたよれるにこそ、さてこの比々奈、ふるくは紙にてのみつくれりとみな人いへど、そはしもざまにては、むかしは絹もてえつくらざりしゆえに、ふるきは紙なるがおほければ、しかおもふにてたがへり、江家次第に、東宮の比々奈の事おいへるくだりに、比々奈料絹、本宮給之とあれば、絹にてもつくれることしるし、上のくだりに、ときあかせるにて、むかし今の比々奈のやう、大かたにはしられぬべくなん、