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傍廂
前篇
雛 今世俗の内裏雛といへるは、冠服の姿なる故に、おしはかりもて内裏といへるにつきて、或は仲哀天皇神功皇后として、男女と次第おたて、または神功皇后応神天皇として、女男と次第おたつるは、皆拠もなき僻事なり、誰の姿といふことはなく、隻男女の姿なり、源氏紅葉賀巻に、紫の上、よき雛によき衣きせて、源氏君と号け給ひしは、其時にとりての事なり、当世少女のもてあそぶ紙人形、みづからつくりて姉様と称するが、即古の雛なり、同物語に、十にあまれる姫君は、ひヽなあそびせぬ由いひしも、今世の紙人形の事なり、いにしへも当世の紙人形の如く常の物にて、三月には限らず、紫の上の雛あそびに、いぬきといへる少女が、雛の屋こぼちたるは、正月元日なり、さるお三月初巳日に、身滌の祓あり、雛形の紙にて、身のはらへして川へ流す故に、なでものとも、形代ともいふ、同物語東屋の巻に、見し人のかたしろならば身にそへて恋ひしき瀬々の撫ものにせん、とよみしは、三月上の巳日の祓およめるなり、そのなでものと、少女遊びの姉様の雛と混じて、三月上の巳日の物となり、又三月三日の重三と、上巳と混じて、ひとつになりたるなり、外戎にては巍晋の頃より混じたるよし宋書にあり、今は三日は、巳日ならでも上巳日といふがならはしなり、但じやうしの日お、音訓まじりにじやうみと唱ふるは拙し、