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嬉遊笑覧
六下児戯
今の雛祭は、上巳の祓お思へるにや、俳諧水鏡に、ひヽなあそびこそ、慥なる故もあらねば、打まかせては雑なるべし、源氏物語には、元日にも野分の朝にも、ひヽなごとありし由侍れば、今日に限らぬ〈◯此間恐有脱字〉しられたり、但いさヽかあひしらひあらば、此ごろの俗に任せて、今日のことにもなりぬべしやとて、新続犬筑波集にも、少々まじへて入侍りし、〈此書、享保十五年、浪花人紹蓮といふものヽ撰なり、それお後に増山井と書名おかへ、作書の名お削りて季吟の名お入たるは、書四が利お得むとての所為なり、〉さて新犬筑波は季吟の撰なり、件の文は季吟が説お録したるなれば、此頃の俗とは、万治前後おいふ歟、それより前にもさるべきあたりには、もてはやしヽ事ながら、民間にも専ら行はれしは、おほやう其頃よりなるべし、犬子集は貞徳の撰にて、寛永八年より同十年正月にしるし終る、守武千句、宗鑑が犬筑波に次での撰なり、花の句よせたる中に、政直が句、ひなといへど花の都の細工かな、これ鄙に雛およせたり、其頃は、いまだ遍くもてあつかふことにはあらずとみゆ、明暦二年刻したる世話焼草、三月の条、三日節句雲々、ひな遊、巳日祓とつヾけて出たり、寛文元年一雪が独吟百韻、もとむるにさても直段のやす屏風、ひヽなあそびはたヾ祝言のみ、〈是又雑に用〉