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嬉遊笑覧
六下児戯
ひなは、もとより小きものにて、後世までもしかありし、七八寸、或は一尺にもこゆるなどは、いと近き風俗なり、五元集、雛やそも碁ばんにたてしまろがたけ、折菓子や井筒になりてひなのたけ、温故集、超波が句に、落雁にのまれてみゆる雛かな、〈その小きおいへり〉いま古今ひな(○○○○)は、寛政年中、江戸にて原舟月と雲ふ者製し出て世に行はる、〈◯中略〉今の紙ひな(○○○)といふもの、寛永頃の絵にみゆ、これ小児平日の手遊なり、又古き装束ひなは、今の次郎左衛門雛の体に似て、男雛は大刀なく、女ひな天冠なし、衣服の体はかはれ共、貞享元禄ごろのも其如くなり、おもふに江戸ひなと称するものは、享保已後の製なるべし、新野問答、鳥頸剣の条に雲ふ、今世にも小児の所玩、俗に装束ひなと申候人形の剣、皆柄首鳥頸に候雲々、奈良の在所帯解といふ処に、土焼の雛(○○○○)あり、〈◯註略〉この土雛古きも有べけれど、予〈◯喜多村信節〉が見しは、男雛太刀お帯、女雛天冠おきて、共に台あり、高さ六寸五分許ありき、古風にはあらず、