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骨董集
上編下前
伊勢の小米雛(○○○) おのれ〈◯岩瀬醒斎〉此事お伊勢山田の某氏にとひしに、伊勢山田あたりに、古へより伝へて、女児平日の雛遊びに、小米雛とて、五六分許の紙びなお造り、その衣服にするものおきヽといひ、巾一寸許、長さ二寸許のちひさき鳥の子などの紙に、丹青もて文様おいろどり、或は行成紙などおちひさく裁て用ひ、或はちひさき紅絹のきれなどお添て、衣領つきおとヽのふるもあり、さて鳥の子などの巾ひろき一ひらの紙に、座敷、客間、居間、台所など、家のさし図おかき、小米びな夫婦、或は婢女奴僕などもつくりて、そのさし図の所々に粘してつけ置、人家平日のさまむつましき体おまねびて、常のもて遊びにしたるよし、今より八十年許前〈享保の末にあたる〉までは、此事ありしが、今はたえて小米びなといふ名おだにしれる人希なり、年八十余の老人にあらではしらずとぞ答られける、童のもて遊びも、古はかく質素にてありし也、源氏の紫のうへのひいな遊びに、ちひさき屋形おつくり、ひいなおしすえて、もて遊び給ひしことなど、おもひあはすれば、此小米びなは、古の民の童のひいな遊びにて、それが享保の末までも伝りしなるべし、ひいなは、もとちひさき義なれば、小米びなは、よしある事ぞかし、〈◯中略〉今も伊勢の山田あたりにて、咳児にいろどりし物お見せて、きヽ〳〵とおしへ、又は端午の幟などお見せて、幟きヽ〳〵といふ言残り、うつくしき衣服おきヽめヽともいふよし、きヽといふは、すべてうつくしき物おさしていふ言か、この言義は知がたし、