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骨董集
上編下前
ひいな草(○○○○) 今の世の女童、ひいな草お採て雛の髪おゆひ、紙の衣服お著せなどして、平日の玩具とす、これもいと古き事なり、丹後守為忠朝臣家百首、契久恋、源仲正、おもふとはつみしらせてきひいなぐさわらは遊びのてたはぶれより、 按るに、仲正は源三位頼政卿の父にて、堀河院の比の歌人なれば、今文化十年より、およそ七百二三十年ばかり前、わらはのひいな草つみて、もて遊びたる事のありし証とするにたれり、これらおもて思ふに、いにしへの民の童のひいな遊びは、彼ひめ瓜、此ひいな草のたぐひにてありしなるべし、古代は童のもて遊び物とて、別につくりて売事まれなりしゆえに、前に出せる竹馬のたぐひにて、自然に生ずる物お用ふ、今も田舎の童は、野山におのづから生て、食料にもならざる物おとりて、もて遊ぶゆえに、つひえなくてよし、