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骨董集
上編下後
〈追加〉姫瓜節供、髪葛子(かづらこ)節供、 今伊勢桑名わたりの俗に、女童のことばに、八月朔日お、姫瓜の節供(○○○○○)ととなへ、ひめ瓜に顔お画がき、べにおしろいおいろどりて頭とし、つけ木、又竹の筒などお身とし、紙又絹などの衣服おきせて、ひいな人形につくり、棚にすえ、酒、赤飯などおそなへてまつる、又九月九日お、かづら子の節供(○○○○○○○)ととなへ、ひいな草つみて、ちひさく男女の頭おつくり、これも棚にすえ、おなじごとく物そなへてまつるとぞ、前にもいへるごとく、瓜に顔かく事は、清少納言の草紙に見え、ひいな草つむ事は、源三位頼政卿の父、源仲正が歌によめれば、いといとふるき事なり、按に、これらはいにしへ質朴なりし世に、天児、母子などの略儀とし、贖物のこヽろばへにてまつれる古俗のなごりなるべし、〈これらおこそひいなまつりともいふべけれ、今の上巳のひいなは、かへす〴〵もいにしへに似ず、和名抄お見るに、今のかもじお、古へはかづらといへれば、かづらこの節供と雲も、ふるきとなへならまし、後のひいなは、此かづら子の事のうつれるにはあらずや、江戸ちかき地にても、ひいな草つみて、ひいなつくる事はすれど、物そなへてまつる事はせず、〉